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京都府茶業会館
宇治茶会館
京都府茶業会館は、外観はもちろん、館内も趣のある落ち着いた雰囲気が魅力の施設です。
この黒塗りの板で囲まれた施設は、お茶の審査をする場所で拝見台と呼ばれています。上部から採光し、茶葉やお茶の微妙な色味や風合いを安定した自然光の下で見極めるためもので、茶業関係の特徴的な施設であり、北面に設置されます。 4枚目の画像は、昭和33年に行われた宇治市第1回製茶品評会の様子です。建設当初は1階の東側に設置されており、幅も現在の半分程度であったようで、後に2階に移されました。 京都府茶業会館の拝見台は、宇治に現存する中で、最大のものです。(宇治市歴史資料館提供)
2階第3研修室は洋風広間ですが、東側に上座用の吊床を設けています。 天井は吹き寄せ格天井張りで昭和3年時の合板が残されており、格式高い雰囲気です。 3枚目の画像は、昭和33年の京都市長らが出席されている会議の様子です。(宇治市歴史資料館提供)
正面玄関の大戸は、建設当初の木製玄関扉です。一時使用されなくなりましたが、平成28年の改修工事により再び使用されるようになりました。なお、当初は内開きの構造となっておりました。
玄関構えには社寺建築のような重厚な装飾が施されています。棟端に鰭付経之巻獅子口(ひれつききょうのまきししぐち)を置き、鰭付懸魚(ひれつきけぎょ)や蟇股(かえるまた)、端部に装飾があります。
昭和26年の昭和天皇宇治行幸の時に使用されました。 なお、昭和天皇は、第二次世界大戦後の混乱期から復興期にかけて、昭和21年(1946年)2月から昭和29年(1954年)8月までの間に全国各地を行幸されました。
玄関ホールにある装飾が鮮やかな欄間です。
1階第1研修室には昭和3年の建築時に設置されて以来使用されてきた金庫が残されています。重厚なつくりで床下は煉瓦で補強されています。
昭和23年の新聞紙に包まれた状態で発見されました。 当時の博覧会に出展されたものと推定されています。 平成21年に塗装等の修理をしています。
高欄(こうらん)とは、橋や廊下などの端部に設置される柵や壁で、転落防止や意匠性を目的とした構造物です。 茶業会館と宇治上神社の高欄は、構造やデザインにおいて共通点が多く見られます。 具体的には、3つの水平材で構成されており、最上段の①架木(ほこぎ)、中段の②平桁(ひらげた)、下段の③地覆(じふく)の配置が類似しています。 また、平桁と地覆の間に挟まる束の④栭束(たたらづか)、架木・平桁・地覆全てをうける柱親柱(おやばしら)も同様に類似性が見られます。
宇治上神社
蟇股(かえるまた)とは、日本古建築の細部名称で、横木(梁、桁)の上に設置された部材です。蛙の股のような形をしていることからこの名前が付けられました。 構造材として荷重を分散して支える役割を担っていましたが、平安時代後期以降は装飾材としての役割が重視されるようになりました。
獅子口(ししぐち)とは屋根の棟飾りです。
懸魚(げぎょ)とは、神社仏閣や城郭などの屋根の破風板に吊り下げられる装飾板です。雨風から屋根を守り、木造建築の場合は棟木や桁の端を隠す役割があります。 懸魚は、水と縁の深い魚を屋根に懸けることで「水をかける」という意味があり、火災から守る火伏せのまじないとして取り付けられてきました。
釘隠(くぎかくし)とは、日本建築において、長押(なげし)や扉に打った釘の頭を隠すためにつけられた木製や金属製の装飾です。 茶業会館の釘隠には、建設当時から残っているものと、平成28年の改修時に新たに製作されたものが両方存在しています。
舟肘木(ふなひじき)とは、船形の肘木で、柱の上に直接のせて軒桁を支える組物のことです。 茶業会館および宇治上神社の両方に見られる特徴的な構造です。