社会
宇治茶はどこで
作られているの?


宇治茶がどこでつくられているのか知っているかな?

うーん、京都府あたりかな?

その昔、京都から茶づくりが伝わったことと、京都に茶問屋が多くあったので、各地からお茶が集まってきて、宇治茶として全国に広がったんじゃ

だから京都府の周りの県も宇治茶として取り扱われることがあるんだね
宇治茶の定義(平成16年制定)
「宇治茶製法」とは
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宇治茶は、歴史・文化・地理・気象等総合的な見地に鑑み、宇治茶として、ともに発展してきた当該産地である京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶で、京都府内業者が府内で仕上加工したものである。ただし、京都府産を優先するものとする。
宇治茶の始まりはいつ?

お寺によくつくられている茶室という部屋を見たことがあるかな。これは茶道※をたしなむための部屋。
宇治茶の産地にはたくさんお寺があるけれど、実はお茶とお坊さんは深い関係があるんだよ
日本で最初にお茶の栽培を始めたのは、明恵という僧侶(お坊さん)だと言われています。
宇治茶の歴史をたどってみましょう。
餅茶(団茶)の時代
760年(中国唐時代)
陸羽が世界で最古のお茶について説明する本「茶経※」を書く。お茶はすでにこの頃には、中国の人々の生活のなかで飲み物として飲まれるようになっていた。
805年(平安時代)
僧の最澄、空海が中国・唐から茶種を持ち帰り、比叡山のふもとに植える。
碾茶(抹茶)の登場
1191年(鎌倉時代)
僧の栄西が中国・宋から帰り、日本にお茶を飲む習慣を広める。明恵が栄西から分けられた茶種を京都の栂尾、宇治などに植え始める。(宇治の茶栽培の始まり)
1211年(鎌倉時代)
栄西が茶について説明する本「喫茶養生記※」を書く。これが日本で一番古い科学書といわれる。
室町時代
足利幕府の奨励を受けて宇治に茶園が開かれ、宇治茶のすばらしさが日本で広まる。
江戸時代初期
「宇治茶」の名前が登場。
碾茶の発展
煎茶・玉露の登場
1738年(江戸時代)
宇治田原湯屋谷の永谷宗円※が、煎茶のつくり方(宇治茶の製法※)を生み出す。
江戸時代後期
玉露のつくり方が生み出される。
茶道:抹茶をたてるための作法で、精神を落ち着かせる修行も兼ねています。
茶経:陸羽が茶について記した本。唐ではやっていた固形のお茶のつくり方や、飲み方などについて書かれています。
喫茶養生記:栄西が茶について記した本。碾茶のつくり方や、からだを健康にする茶のはたらきなどについて書かれています。
永谷宗円:江戸時代中期に山城国の田原郷湯屋谷で、茶の製造業をしていました。
宇治茶の製法(宇治製法、青製煎茶法):蒸した茶の芽を焙炉で乾燥させながら手でもむお茶のつくり方で、永谷宗円が考えました。

栄西の 『喫茶養生記』には、“茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり。”と書いてあるの。
これは、お茶をたくさん飲んで長生きしようという意味なんだって

ぼくたちがいつも飲んでいるお茶も、最初は薬として伝わったんだね
宇治茶をもっと知ろう

どうしておいしい宇治茶が育つんだろう?

いいところに気づいたね。 お茶を育てるには、水と栄養たっぷりの土が大切。
宇治茶の産地には宇治川、 木津川などが流れていて、年間に1500mm以上の雨も降るし、 小高い傾斜のある地形だから昼と夜の温度差があって、茶の芽の大敵である霜を防いでくれる霧が発生しやすい。おまけに土質がよくて、水はけもいいんだ


宇治茶のはじまりはいつなのかな?

宇治茶のはじまりは、鎌倉時代。
栂尾にある『高山寺』 の明恵上人のすすめで、宇治茶の栽培が始まったんだ。室町時代には、足利幕府の奨励で、宇治茶の名前が全国に知れわたるようになったんだよ

宇治茶のすばらしさを幕府も認めたのね。すごいわ

江戸時代に入ると、山城の国・宇治田原湯屋谷の永谷宗円が『宇治製法』 と呼ばれるお茶のつくり方を生み出す。この『宇治製法』 が宇治にとどまらず大和(奈良)、近江(滋賀)、伊勢(三重)に広まって、宇治製法でつくられたお茶が日本中で飲まれるようになったんだ。この宇治製法が現在の玉露と煎茶のつくり方へと発展したんだよ。宇治茶は今も生産が盛んで、特に最上級の碾茶・玉露がつくられることで知られているんだ

僕たちがいつも飲んでいる宇治茶には、長い歴史があるんだね