2023年5月号(Vol.131)HTMLメール
宇治茶の郷メールマガジン 5月号(Vol.131) |
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こんにちは、宇治 茶太郎さん。
今年も新茶の季節が到来しました。 … トピックス ………………………………………………………………………… … コラム「茶の記憶」……………………………………………………………… |
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今月からは、宇治茶伝道師の小山茂樹さんにコラムをご紹介いただきます。 『「神君伊賀鑢え」・・・宇治茶をたどる道』というテーマでコラムをお寄せいただきました。
放映中のNHK大河ドラマ「どうする家康」は、徳川家康の生涯が別の視点から描かれていておもしろい。家康にとって三方ケ原の戦いや関ケ原の戦いなど多くの決断のときがあったが、本能寺の変と直後の伊賀越えこそ、その後の生きざまを変える一番の分岐点になったと私は思う。 1582(天正10)年6月、本能寺で織田信長が討たれたとき、家康は大阪・堺にいた。明智光秀から逃れて急きょ居城である三河岡崎城へ戻ることにしたが、この逃避行が有名な「神君伊賀越え」の故事である。徳川実紀に家康の人生最大の受難だったとあるが、ここで捨った命をどう生かすか、それが天下人を目指すきっかけとなったに違いない。 ドラマで伊賀越えがどのように描かれるのだろう。家康一行は30人ほど、光秀の追っ手が迫る山城を横切るのは容易ではない。どんなルートをたどって逃げたのか。諸説があって定かではないが、有力とされるのは京田辺市草内辺りから木津川を渡り、宇治田原を経て滋賀県信楽から多羅尾方面へ至る、現在の国道307号線に沿った間道である。ここで気付いてほしいのは、山間の茶産地をつないだ線がほぼこの道順になるということだ。 上林康二氏著「宇治茶師・上林一族の軌跡」によれば、上林久茂が家康一行を木津川の渡しで出迎え、茶摘みに使う赤い手ぬぐいを目印に道案内の先導をしたとある。三重県の伊賀境まで送り届ける途中に通過した土地はいずれも茶産地で、茶師だった上林はこの辺りの茶畑と間道を熟知していたのだろう。その後、文字通り天下人となった家康は上林一族の恩義に報いるため、宇治茶の生産を庇護するとともに、宇治を幕府直轄領とした。そして上林家を茶頭取として代官職に任じ、毎年の新茶(碩茶)を献上させた。その茶壺の往来は3代将軍家光のときから茶壺道中として確率した。伊賀越えは宇治茶発展のきっかけになったのである。 西脇隆俊知事は歴史に造詣が深い。この故事を「お茶の京都」に生かしたいと話しておられたので楽しみだ。今回の大河ドラマは今までと違う切りロだが、ノリが軽いとわが夫婦でも評価が分かれる始末。気になる今後の視聴率は、さて、「どうなる家康」か。 |
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ □ 発行 : 宇治茶の郷づくり協議会 https://www.ujicha.or.jp/sato/ □ 発行日 : 2023年5月1日 □ メールマガジンの配信・停止:https://www.ujicha.or.jp/sato/member/ □ facebook「宇治茶love」https://www.facebook.com/ujichalove □ Twitter「うじちゃ~る人」https://twitter.com/ujicharle ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyright (c) 2023 宇治茶の郷づくり協議会 All Right Reserved. |