2020年5月号(Vol.95)HTMLメール

宇治茶の郷メールマガジン
5月号(Vol.95)
 みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
 新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、メールマガジンをお読みのみなさまもご自宅で過ごす時間が多くなっているかと思います。
 5月に入り、新茶のシーズンを迎えました。ご自宅でお過ごしの際は、ぜひ、おいしい宇治茶の新茶を飲んでお過ごしください。

目次

… トピックス …………………………………………………………………………
 【1】「宇治茶カフェガイドブック2020」が完成しました!
 【2】2020年度の宇治茶レディが決定しました!
 【3】一番茶が萌芽!宇治茶のシーズンがやってきました!
 【4】今回は、トピックスとして宇治茶の歴史を紹介したいと思います!
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… コラム「茶の記憶」………………………………………………………………
 ○第91回 橋本素子さん
  宇治茶のエンドユーザーたち
   ~頼山陽と御茶所「美濃部忠兵衛」(3)~
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トピックス
【1】「宇治茶カフェガイドブック2020」が完成しました!


 おいしい宇治茶のメニューが揃い、宇治茶の歴史、文化、淹れ方等の説明ができる飲食店などを「宇治茶カフェ」として認定していますが、2020年版の「宇治茶カフェガイドブック」が完成しました。

 お店によってメニューも雰囲気も多種多様で、お茶に詳しい方でも、お茶初心者の方でも楽しんでいただけるお店ばかりです♪

 JR京都駅の京都総合観光案内所「京なび」や山城地域の観光案内所などに置いていますので、ぜひお手にとってご覧ください!

 3月17日(火)に新たに認定した6店舗も掲載しています☆

※詳しくはこちら

【2】2020年度の宇治茶レディが決定しました!

 宇治茶のPR活動をする今年度の「宇治茶レディ」に、刈安美月さん(高槻市・大学生)、青谷空夏さん(宇治市・大学生)、大林悠衣さん(宇治市・主婦)、中野寧々さん(宇治市・大学生)、江口敦子さん(京都市・大学生)の5名が選ばれました。なお、4月12日(日)に予定していた受賞式は、新型コロナウイルスの影響で中止されました。

 宇治茶レディは、京都府茶協同組合の宣伝事業の一環として、2010年にスタートし、今回で11回目となります。宇治茶が大好きで、宇治茶のイメージに合う女性の中から、厳正な審査で選ばれます。

 新型コロナウイルスの影響でイベントの中止が続いている状況ですが、5名は、来年3月までの1年間、宇治茶PRカレンダーや各種イベントで活躍されます♪

【3】一番茶が萌芽!宇治茶のシーズンがやってきました!

 冬の寒さに耐えてきたお茶の芽は、京都府南部では例年4月上旬に力強く芽吹きます。これを「一番茶の萌芽」と言います。

 京都府茶業研究所は、平年より6日早い3月30日(月)、一番茶の萌芽を宣言しました。

 宇治茶の生産地では一番茶のお茶摘みが始まり、宇治茶のシーズンが到来しました。

 お茶摘みさんを募集している茶農家さんもあるようですので、興味のある方はお茶摘みにチャレンジしてみてはいかがでしょうか!

【4】今回は、トピックスとして宇治茶の歴史を紹介したいと思います!

 ◇ 宇治茶の歴史 ◇ 

 お茶は中国から伝来し、現在の宇治茶に発展してきました。

 宇治茶の歴史をみてみましょう。

1.中国では

 中国唐の時代(西暦760年頃)には、人々の生活の中でお茶が飲まれていました。でも、この頃のお茶は今の宇治茶とは違い、餅茶へいちゃ(団茶)といわれる蒸した茶葉を臼でついて団子にしたものでした。

2.日本への伝来

 平安時代(西暦805年)、僧である最澄、空海が中国から茶種を持ち帰り、比叡山のふもとに植えました。

3.宇治茶の発展

(1)お茶の栽培始まる
 鎌倉時代(西暦1191年)、僧である栄西ようさいが中国・宋から帰り、日本にお茶を飲む習慣を広めました。西暦1211年、栄西は茶について説明した「喫茶きっさ養生記ようじょうき」を書き、「茶は養生の仙薬なり。延齡の妙術なり」と記し、この頃のお茶は薬として伝わったことが分かります。
 日本で最初にお茶の栽培を始めたのは明恵みょうえという僧侶で、栄西から分けられた茶種を京都の栂尾とがのお、宇治などに植え栽培を始めました。

(2)宇治茶の普及
 室町時代(西暦1336年~1573年)に入ると、足利幕府の奨励を受けて宇治に茶園が開かれ、宇治茶のすばらしさが全国に広まりました。
 室町時代末期から安土桃山時代(1573年~1603年)には、織田信長や豊臣秀吉などの戦国大名達の間で「茶の湯」が盛んでした。安土時代には茶園に覆いをかける覆下栽培が考案され、高品質な碾茶てんちゃ(抹茶)が生産されるようになりました。
 江戸時代(1603年~1868年)初期には、「宇治茶」の名前が登場しました。
 この頃までのお茶は碾茶(抹茶)でした。

(3)煎茶・玉露の登場
 江戸時代(西暦1738年)、宇治田原湯屋谷ゆやたに永谷宗円ながたにそうえんにより、蒸した茶の芽を焙炉で乾燥させながら手でもむお茶のつくり方(宇治茶製法)が開発され、煎茶が生まれました。
 また江戸時代後期には、覆下栽培を行った茶葉で宇治茶製法を行うことで、茶にふくよかな香りとまろやかなうまみを引き出す玉露が生まれました。

 お茶の歴史、いかがでしたでしょうか。

 お茶を飲む際、お茶の歴史に思いを馳せながら、ゆったりとした時間を過ごしてみるのはいかがでしょうか。

コラム「茶の記憶」 第90回


 今月は、引き続き、京都造形芸術大学非常勤講師の橋本素子さんにコラムをご紹介いただきます。

 「宇治茶のエンドユーザーたち~頼山陽と御茶所「美濃部忠兵衛」」と題した連載の3回目です。

宇治茶のエンドユーザーたち~頼山陽と御茶所「美濃部忠兵衛」(3)~ 橋本素子

 今回は、頼山陽が宇治茶を購入した「美濃屋忠兵衛」について見ていきましょう。山陽は橋本竹下への手紙の中で、「美濃屋忠兵衛」と記しておりますが、正しくは「美濃部忠兵衛」です。この「美濃部忠兵衛」は、山陽が記すように、また明治十六年(1883)刊の地誌『都の魁』にも書かれているように、京都市下京区柳馬場通綾小路下ル西側にあった、京都市中でも屈指の御茶所(葉茶屋・茶商)でした。

 その「美濃部忠兵衛」については、宇治市歴史資料館が、元治元年(1864)・明治二年(1869)・明治二年以降明治年間の引札を収蔵しています。引札とは広告用のチラシで、そこにはお茶の種類と銘と値段が書かれています。上記の三枚の引札には、残念ながら山陽が購入した宇治茶の「一時雨(ひとしぐれ)」やそれに類似した銘の煎茶はありません。おそらく「一時雨」は、40余年の間に消えてしまったものとみられます。(『宇治茶 トップブランドの成立と展開』宇治市歴史資料館 2015年、75頁参照)

 「美濃部忠兵衛」は、明治維新後も同地で商売を続けました。大正六年(1917)5月24日『京都日出新聞』「京都府の農産(十四)△茶業組合」には、「明治十二年の頃、粗製茶の排斥及取引上の円満を期せんが為、京都市に茶業取締所を設け、三木惣左衛門、美濃部忠兵衛、池田佐七郎等が専ら之が任に当たれり」とあり、「美濃部忠兵衛」も、京都市茶業取締所創設者のひとりとして、その名前が見えます。京都市茶業組合『京都市茶業百年の歩み』(1979)をみますと、明治十二年~明治十九年の初代と、明治三十一年~明治三十六年の第六代の、二度の京都市茶業組合の組合長をつとめていたことがわかります。この本が書かれた昭和五十四年当時には、同所で「美濃部茶舗」として商いを続けていたことが確認できます。しかし現在は、同地には店舗はなく、組合にも加盟されていません。私も念のため現地を訪れ、たまたま外に出ていらしたご近所の方にもお伺いしてみましたが、手掛かりを得ることはできませんでした。

本文ここまで
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 □ 発行日 : 2020年5月1日
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