2016年5月号(Vol.47)HTMLメール

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宇治茶の郷メールマガジン
5月号(Vol.47)
こんにちは、宇治 茶太郎さん。

いよいよ一番茶の季節。宇治茶の郷から最新の宇治茶情報をお届けします。

目次

… トピックス …………………………………………………………………………
 【1】一番茶が萌芽日を迎えました!
 【2】宇治茶レディが決定!
 【3】東京のホテル椿山荘で「宇治茶の文化・淹れ方講習」開催!
 【4】「UJI-CHA Fair 2016」が山城各地で開催
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… コラム「茶の記憶」………………………………………………………………
 ○第43回 橋本素子さん
  「口切」茶と愛宕山
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トピックス

【1】一番茶が萌芽日を迎えました!

 寒さに耐えてきたお茶の芽は、京都府南部では4月上旬になると力強く芽吹いてきます。これを一番茶の萌芽といいます。

 宇治新茶の一番茶のお茶摘みは、萌芽から約1ヶ月後、ちょうど、八十八夜(平成28年は5月1日)頃に始まります。

 京都府茶業研究所は、毎年一番茶の萌芽日の公表「萌芽宣言」を行っており、平年より6日早い3月30日を一番茶の萌芽日となりました。

【2】宇治茶レディが決定!

 4月17日(日)、宇治茶の宣伝活動をする「宇治茶レディ」の授賞式が行われ、宇治茶レディ4名が発表されました。

 グランプリには、豊田彩希さんが選ばれたほか、北村香菜恵さん、森下葵さん、中土美優さんが宇治茶レディとして選ばれました。

 宇治茶レディは、京都府茶協同組合の宣伝事業の一環として2010年にスタートし、宇治茶宣伝用カレンダーへの出演とイベントでのPRが主な活動で、これまでにも宇治茶の郷づくり協議会の様々な事業に御協力いただいています。

 4人は、5月1日(日)の「宇治新茶・八十八夜茶摘みの集い」で本格デビューされ、来年3月までの1年間、各種イベントや宇治茶のPR事業で活躍されます。

【3】東京のホテル椿山荘で「宇治茶の文化・淹れ方講習」開催!

 4月13日(水)、東京都文京区のホテル椿山荘でホテルスタッフを対象に、「宇治茶の文化・淹れ方教室」を開催。

 本講習は、5月1日実施の「1日限定宇治茶カフェ」実施にあたり、宇治茶の正しい淹れ方、おもてなしの心、宇治茶の歴史文化等を学んでいただくとともに、首都圏で初の「宇治茶ムリエ」養成講座としても実施しました。

 当日は「1日限定宇治茶カフェ」で接客担当のスタッフを含め、30名のホテルスタッフが参加し、熱心に宇治茶の淹れ方やおもてなしの心などを学ばれていました。

【4】「UJI-CHA Fair 2016」が山城各地で開催

 山城地域で行われる一連の楽しいイベントを、山城の宝物である宇治茶にあやかり、「UJI-CHA Fair(うじちゃ ふぇあー)」と名付けています。

 この春・夏に「UJI-CHA Fair」関連の24イベントが開催されます。イベントによっては、先着でスイーツ等のプレゼントを配布するものもありますので、冊子「UJI-CHA Fair 2016ナビ」を持参してお出かけ下さい。

【5月の「UJI-CHA Fair」主な予定】
 5月 8日(日) 永谷宗円生家新茶まつり(宇治田原町)
        先着50名にスイーツプレゼント
 5月15日(日) 市民茶摘みのつどい(宇治市)
        先着300名にスイーツプレゼント
 5月22日(日) 茶源郷和束満喫イベント
        先着30名にスイーツプレゼント  等

コラム「茶の記憶」 第43回


 今月も、京都造形芸術大学通信制大学院非常勤講師の橋本素子さんにコラムを御紹介いただきます。
 今月は、「『口切り』茶と愛宕山」という題目でコラムをお寄せいただきました。

「口切」茶と愛宕山 橋本素子

 毎年10月の第一日曜日に行われる「宇治茶まつり」は、宇治の茶業者が、宇治茶の茶租とされる栄西(ようさい)・明恵・利休を顕彰する行事です。この日、興聖寺本堂では、「口切(くちきり)の儀」が行われます。

 「口切」とは、茶壺の口を封じてある和紙を切ることです。「口切の儀」とは、旧暦10月ごろ、茶壺の中に詰めてある碾茶(てんちゃ)(抹茶の原料)を取り出して茶臼で磨り、抹茶にする儀式です。碾茶を新茶の時期に壺に詰めてひと夏を越すと、後熟されてまろやかな味になります。

 「ひと夏を越した茶を飲む」ということは、中世からみられることではありましたが、16世紀初頭に「茶の湯」が登場したころからは、これを意図的に行うようになりました。

 初夏、宇治の新茶を詰めた茶壺は、京都愛宕山白雲寺(現・愛宕神社)の坊の蔵に預けられ、ひと夏を越しました。愛宕山は、京都の最高峰で、標高924メートル。山頂の愛宕神社までは、往復4~5時間ほどの登山となります。そのため京都市中よりも10度前後も気温が低く、夏の暑さで知られる京都盆地近郊にあって、茶壺の保管にはうってつけの場所でした。

 その愛宕山ヘは、豊臣秀吉や徳川家康も茶壺を預けておりました。

 天正14年(1586)から18年とみられる4月3日付「千利休書状」によると、宇治の上林家の新茶を詰めた関白秀吉の茶壺は、愛宕山福寿院へ預けられていました。

 続く徳川将軍家の御用茶も、初期の頃には愛宕山に預けられていました。愛宕山の参道には「壺割り坂」があり、人夫が将軍家御用の茶壺を割ってしまった場所とされています。人夫のその後を考えると、胸が痛みますね。

 しかし寛永10年(1633)に「御茶壺道中」が制度化される頃には、茶壺は愛宕山で夏を越さずに、新茶のまま江戸方面へ運ばれていました。その江戸に運ばれた茶壺には、「御壺」と「夏切御壺」がありました。

 「御壺」は、将軍家の御用、つまりは将軍家が買いあげた茶が詰められ、夏の間は甲斐国谷村や江戸城富士見櫓(やぐら)に保管されていました。これらは秋に「口切」をして飲まれます。

 一方の「夏切御壺」は、試し飲みのための新茶で、宇治茶師から献上されたものでした。つまり江戸の将軍は、新茶の宇治抹茶も飲んでいたことになります。近年、新茶の宇治抹茶が販売されているのを目にするようになりましたが、これも一種のリバイバルなのかもしれません。

 なお、江戸時代を通じて愛宕山に茶壺を預けていたのは、京都の天皇家や西本願寺などの寺家でした。

 この愛宕山でひと夏を越した抹茶とは、どのような味がしたのでしょうか。これが再現され、そのお相伴に預かりたいと思うのは、私だけでしょうか。

本文ここまで
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 □ 発行日 : 2016年5月1日
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