2012年11月号(Vol.5)HTMLメール
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宇治茶の郷メールマガジン 11月号(Vol.5) |
こんにちは、宇治 茶太郎さん。 宇治茶の郷から、清々しい秋にぴったりな宇治茶の情報をお送りします。 … トピックス ………………………………………………………………………… … イベント情報 ……………………………………………………………………… … 日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録に向けて ……………………………… … コラム「茶の記憶」……………………………………………………………… |
○世界遺産条約採択40周年記念事業
日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録検討委員会 委員長金田章裕氏の基調講演に続き、岩手大学の広田純一教授から、平泉の世界文化遺産登録候補地である岩手県一関市本寺地区を題材にした地域づくり活動を、自らの体験を交えて御報告いただきました。 また、「『宇治茶』は世界の宝~宇治茶とやましろの魅力を再発見~」と題したパネルディスカッションでは、パネリストの一人である吉田利一さんから玉露をおもてなしていただきながら、各パネリストの皆さんからそれぞれのお立場で貴重な御意見や御提言をいただきました。 さらに、シンポジウムに先駆けて、二條流による宇治茶「玉露」を和菓子とともにおもてなしいただき、参加者の皆さんに宇治茶の魅力を味わっていただきました。 当日は、約250人の参加があり、地域の価値を再発見することの大切さ、地域づくりには実践の積み重ねが大切など、貴重なお話に、多くの方が熱心に耳を傾けていました。 |
10月~11月は宇治茶の郷づくり月間です。 ○宇治茶歴史街道ウォーク 10月18日(木)には、(社)宇治市観光協会の主催により「宇治茶の郷で茶香服体験」を開催しました。 今後の予定は次のとおりです。 ・11月11日(日)「鷲峰山登山道 自然と歴史の南山城最高峰へ」 ・11月18日(日)「恭仁京 in Autumn」 ・12月1日(土)「玉露の産地京田辺でお茶の香りを楽しむ」 詳しくは、各主催者までお問い合わせください。 |
○「世界遺産条約採択40周年記念事業」が開始 山城地域では、世界遺産条約採択40周年記念事業として、「日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録をめざすシンポジウム」が開催されましたが、府内では、今後、各種行事が開催されます。 主な行事は、次のとおりです。 11月3日(土)13:00~17:00 11月4日(日)13:30~16:30 11月6日(火)9:30~18:45(会場:京都国際会館) 11月7日(水)9:00~19:00(会場:京都国際会館) 11月8日(木)13:00~18:30
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今月から、「日本茶・宇治茶」に造詣の深い方に御協力をいただき、コラム「茶の記憶」を連載させていただきます。 第1回目は、林屋和男さんです。 林屋さんは、1941年石川県金沢市に生まれ、宇治で育たれました。京都大学大学院で応用植物学を研究された後、宇治で茶業に従事・経営、茶の栽培、製造、加工、販売、鑑定などあらゆる分野を経験されました。現在は、日本茶鑑定士三段の資格を持ち、日本茶インストラクター協会京都府支部長として御活躍されています。今年10月には、京都府の「宇治茶伝道師」のひとりに知事から委嘱され、今後は、国内外において、宇治茶の魅力の発信にますます御活躍されます。 「宇治茶はどのようにして作られたのか」 林屋 和男 日本に数ある茶の中で、「宇治茶」は日本一強いブランドです。この強いブランドがどのようにして作られたかについて、少し書いてみます。 歴史的には鎌倉時代の始めに、当時宋の国であった中国から茶種を持ち帰った栄西禅師から種を分けてもらった明恵上人が宇治の黄檗の地に茶を植えさせたのが始まりとされています。黄檗山萬福寺の門前にはこれを記念する石碑があるのはご存じの方もあるでしょう。もっとも、それ以前の平安時代にすでに茶が植えられていたとも考えられています。 鎌倉時代には明恵上人の寺のあった栂の尾地区の茶が第一とされていましたが、室町時代には早くも宇治の茶が日本一といわれるようになりました。 なぜでしょうか? それにはいくつかの原因が考えられます。一つ目は自然環境です。宇治の土が茶の栽培に適していました。また宇治川の川霧は良い茶を育てるのに役立ちます。昼と夜の気温の差が大きいこともあります。これらは、いずれも良い日本茶の条件です。 二つ目は茶を育てる農家の工夫です。少しでも良い茶を作ろうと茶の芽の伸びる時期に覆いを掛けて、日光を遮ることを始めました。これは植物を育てる上ではとんでもないことですが、この逆転の発想がそれまでの苦い抹茶から旨味の強い抹茶を産み出しました。最初は霜除けから考えられたともいわれますが、少しでも消費者に気に入られる品物を作ろうという日本人の気質が産み出したのではないでしょうか。中国から伝わった抹茶ですが、その後中国では廃れてしまいました。苦すぎたためでしょう。茶は元々薬として扱われていましたから、苦くてもしょうがないと考える人と、茶を飲み物として少しでも旨く飲みたいと思う人の違いでしょうか。 三つ目は宇治が都の近くにあって、良い飲み手に恵まれていたことがあります。当時の上流階級の要求によって当時の茶師といわれる茶商はより良い品質の茶を納める必要がありました。 このように自然に恵まれただけでなく、人々の工夫によって「宇治茶」が現在の地位を得ていると思います。今でも宇治茶に携わっている人達は先人を見習い、負けぬよう工夫を重ねていることが「宇治茶」の名声を保っている要因でしょう。 字数が尽きました。次回は先人の工夫について触れてみたいと思います。 |
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ □ 発行 : 宇治茶の郷づくり協議会 https://www.ujicha.or.jp/sato/ □ 発行日 : 2012年11月1日 □ メールマガジンの配信・停止:https://www.ujicha.or.jp/sato/member/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyright (c) 2012 宇治茶の郷づくり協議会 All Right Reserved. |