2014年4月号(Vol.22)HTMLメール
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宇治茶の郷メールマガジン 4月号(Vol.22) |
こんにちは、宇治 茶太郎さん。 宇治茶の郷から、行楽シーズンにぴったりな宇治茶の最新情報をお届けします。 … トピックス ………………………………………………………………………… … イベント情報 ……………………………………………………………………… … 日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録に向けて …………………………………… … コラム「茶の記憶」……………………………………………………………… |
○宇治茶の魅力に触れる日帰りツアー 宇治茶の世界遺産候補地を訪れ、「お茶名人」との語らいや「ほんまもん」の宇治茶・スイーツが味わえる日帰りバスツアー2コースを実施しました。 ◎宇治・宇治田原コース 「現役最古のてん茶炉と日本緑茶発祥の地を訪ねて宇治茶の歴史を感じよう」 日程:3月21日(金・祝) まずは、宇治市宇治橋通りにある山本晃一郎さんの茶工場、続いて本ず茶園を案内していただき、伝統的な茶生産に係る苦労話や、6次産業化に向けて、抹茶アイスの開発に向けた取組などのお話を伺いました。 昼食では、黄檗山萬福寺で住職から萬福寺とお茶の関わりなどの説明などを聞いたあと、普茶弁当をいただきました。 昼からは、現在の「宇治製法(青製煎茶製法)」を生み出したとされる宇治田原町の永谷宗円生家を訪問し、生家の保存活動をされている永谷宗圓翁顕彰会事務局の方から、宗円の功績や活動の様子などについて御説明いただきました。 |
◎木津川・和束・南山城コース 「後世に残したい茶畑と宇治茶伝道師との語らいで宇治茶を心に留めよう」 日程:3月23日(日) まずは、木津川市上狛の茶問屋ストリートをバスの車窓から見学の後、和束町雇用促進協議会の方から、和束町のきれいな茶畑や伝統的な茶工場の残る景観などを案内していただきました。 昼食では、和束町でお茶を使った食品加工などに取り組まれている「恋茶グループ」さんによるお茶づくしの弁当と煎茶をだしにつかった煎茶鍋をいただきました。 昼からは、南山城村の宇治茶伝道師木野正男さんの庭先で、木野さんが作られた煎茶や自家製抹茶カプチーノをいただきながら、宇治茶生産に関する思いや、急須でお茶を飲んでもらうことの大切さなどを楽しく伺うことができました。 いずれのコースでも、参加者の皆さんは熱心に質問されるなど、宇治茶や世界文化遺産の取組に興味を持つきっかけづくりにつながったようです。 |
○宇治新茶・八十八夜茶摘みの集い 主催:(公社)京都府茶業会議所、京都府茶生産協議会、 また、第1会場では、すてきな来場者プレゼントもあります!! 毎年立春から数えて八十八日目に開催する恒例のイベントです。ぜひ、ご参加ください。なお、京阪宇治駅・JR宇治駅からは無料シャトルバスを運行しますので、ご利用ください。 |
○宇治茶世界文化遺産茶話会を開催 3月25日(火)、宇治茶世界文化遺産登録推進プラットフォームの主催により、宇治茶の世界文化遺産のコンセプトである宇治茶生産の文化的景観への理解を深めていただくとともに、お茶の種類を飲み分ける「茶香服」を楽しんでいただく「宇治茶世界文化遺産茶話会」が、京都市東山区の知恩院和順会館で開催されました。 第一部の「宇治茶生産の景観」を語るトークセッションでは、NPO法人山城こみねっとの大橋敏裕氏のコーディネーターにより、京都光華女子大学非常勤講師の橋本素子氏からは「宇治茶の伝統と革新の歴史」と題して、京都府立大学准教授の上杉和央氏からは「宇治茶をはぐくむ景観 宇治茶がはぐくむ景観」と題して、京都府立大学講師の中村貴子氏からは「無形文化との関わり」と題して、それぞれのお立場からわかりやすく御講演いただきました。 ティータイムでは、山城こみねっとが、「誰もが手軽に抹茶を点てられるように」と作った歌に合わせて、参加者全員が抹茶を点てる体験をしました。 第二部の茶香服スキルアップ講座「茶香服を楽しもう」では、京都府茶業連合青年団の指導のもと、参加者自らも煎じ手になって、茶香服を体験しました。 約100人の方が参加され、「茶話会」という肩のこらない雰囲気の中で、宇治茶の価値や魅力に触れていただくことができました。 |
『昔の抹茶と今の抹茶』の違いについて(その2) 桑原 秀樹 皆様、お世話になります。桑原秀樹、2回目の登場です。 今回は「昔の抹茶と今の抹茶」の違いについて書いてみたいと思います。 (2)栽培 栄西がもたらした抹茶の栽培は露天でした。鎌倉、南北朝、室町の約300年間は露地の碾茶が作られていました。茶園に覆いをするということは茶の新芽を霜の害から守る目的で始められたものですが、それは抹茶の品質面において革命的な改良をもたらしました。覆い下茶園の新芽で製造した抹茶はそれまでの露天園の抹茶とは比べ物にならないくらい美しくおいしい良質な抹茶になりました。 この覆いの元祖については諸説があります。上林味ト説や上林久重説や小堀遠州説がありますが、ロドリーゲスの「日本教会史」によれば、天正年間から慶長年間に宇治においては覆い下の技法が一般化していたことが分かります。よって、覆いの元祖は16世紀前半から中ごろにかけての宇治の多くの茶生産家であろうと考えらます。よって、村田珠光は露地物の白い渋い抹茶しか知らなかったと思われます。千利休は覆い下の緑の美味しい抹茶を点てることができたと考えられます。 (3)摘採 栄西の時代から今日まで手摘みによる摘採は続いています。京都においては昭和60年頃からハサミ刈りによる摘採が増加しはじめました。現在全国で生産される碾茶の内、手摘みは10%でハサミ刈りは90%です。 (4)製造と蒸し 碾茶の製造は、栄西以来大正中期までの約720年間はホイロ小屋での手製の製造で、蒸しも手蒸しでした。 大正時代になって碾茶製造の機械化が始まり数式の碾茶機械が発明されました。中でも大正13年に久世郡宇治町の堀井長次郎の発明した堀井式碾茶機械はそれまでの手製に比べて非常に性能がよくあっという間に宇治に広まりました。現在世界中に在る碾茶炉は全て堀井式碾茶炉です。手製碾茶と機械製碾茶炉との一番大きな違いは温度です。手製のホイロの助炭(ジョタン)面の温度は110度から120度にしかならないのに対して、機械製碾茶炉では180度から200度にもなります。この温度差によって品質面においても手製とは比べ物にならないくらい良質な碾茶を製造する事が出来るようになりました。 今、全国に手揉み製茶の技術保存会はたくさんありますが、手製碾茶の保存会は一つもありません。それは、手製碾茶より機械製碾茶の方が経済的にも品質的にも優れているからです。碾茶用蒸し機が開発されたのは戦後の昭和24年京茶研型碾茶蒸機が最初です。それまでの手蒸しに比べて、蒸気量、蒸気圧、葉への打圧において各段に優れていました。手蒸しでは裏白(ウラジロ)になりそうな摘み遅れた葉でもなんとか染まるようになりました。品種と碾茶機械と碾茶蒸機の開発で、それまで非常に早い時期から摘採しなければならなかったものが、摘採適期で摘める期間が増えました。 ※「(1)品種」は、ホームページのバックナンバー3月号をご覧ください。 |
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ □ 発行 : 宇治茶の郷づくり協議会 https://www.ujicha.or.jp/sato/ □ 発行日 : 2014年4月3日 □ メールマガジンの配信・停止:https://www.ujicha.or.jp/sato/member/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyright (c) 2014 宇治茶の郷づくり協議会 All Right Reserved. |