2012年12月号(Vol.6)HTMLメール
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宇治茶の郷メールマガジン 12月号(Vol.6) |
こんにちは、宇治 茶太郎さん。 宇治茶の郷から、冬でもほっこり暖まる宇治茶の情報をお送りします。 … トピックス ………………………………………………………………………… 【2】世界遺産条約採択40周年記念事業 【3】日本料理文化博覧会連携事業 … イベント情報 ……………………………………………………………………… … 日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録に向けて ……………………………… … コラム「茶の記憶」……………………………………………………………… |
【1】世界遺産条約採択40周年記念事業
山城地域への誘客を図り、宇治茶ファンの拡大と宇治茶の消費拡大につなげるため、世界遺産条約採択40周年記念事業の関連イベントとして、「宇治茶を世界文化遺産へ!知って、歌って、楽しもう!」などのステージイベントや「お茶当てゲーム」、お茶の淹れ方教室(抹茶体験)を実施しました。 また、市町村からは、ふるさと産品展示即売やご当地キャラクターと一緒になっての市町村PRを行っていただくなど、宇治茶の魅力に加えて、市町村の魅力も紹介したほか、京都府からは、日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録に向けた取組の紹介など、盛りだくさんの内容でした。 午前中はあいにくの雨のため、屋外の会場から屋根付きのSakura広場に会場を移しての開催となりましたが、来場者の方には、宇治茶の価値や魅力を広く知っていただく場となりました。 |
【2】世界遺産条約採択40周年記念事業
当日は、日本人2名を含む25名の方が参加され、まず、平等院住職の御挨拶の後、修復中の世界文化遺産「平等院」や、平等院学芸員の解説によりミュージアム「鳳翔館」を見学していただきました。 この後、もうひとつの世界文化遺産「宇治上神社」を、宇治市歴史まちづくり推進課職員の説明により見学の後、宇治茶道場“匠の館”では、玉露と抹茶生チョコレートを味わっていただきました。 半日という短い時間ではありましたが、平等院の修復現場では、府文化財保護課職員の説明に熱心に聞き入り、質問をされたほか、“匠の館”では、宇治茶の美味しさに、皆さん感心されるなど、多くの外国人の方にとって実りの多いツアーとすることができました。 |
【3】日本料理文化博覧会連携事業
当日は、雨が降り、ウォーキングにはあいにくの天候となりましたが、普段は見られない平等院鳳凰堂の修復現場を府文化財保護課の説明を受けながら見学していただいたり、美味しい玉露の淹れ方を日本茶インストラクターの説明を受けながら体験していただくなど、充実した内容となりました。 また、宇治観光ボランティアガイドクラブさんからは、興聖寺や宇治上神社などをわかりやすくガイドしていただき、参加者された皆さんは、満足そうにツアーを終えられました。 |
○来年、全国お茶まつり大会が京都で開催されます。
初日の大会式典では、次期開催地である京都府を代表して、全国お茶まつり京都大会実行委員会委員長の杉本(公社)京都府茶業会議所会頭があいさつの中で、「25年度の第67回全国お茶まつり大会を宇治市で開催する」旨述べられました。 来年11月16日(土)に宇治市内で式典が開催されるほか、宇治茶の魅力を発信するためのイベントを実施することとしており、場所や内容について、「全国お茶まつり京都大会実行委員会」を中心に検討を進めていくこととしています。 |
○「世界遺産条約採択40周年記念事業」が開催されました。 10月から11月にかけて、世界遺産条約採択40周年記念事業が、京都市内や山城地域で開催され、宇治茶の魅力を外国人の方をはじめ、多くの方に伝えてきました。 今後も、様々な機会を活用しながら、日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録をめざす取組をPRすることとしています。 |
「覆い下栽培」 林屋 和男 「宇治茶」といえばまず抹茶が頭に浮かびます。実際、歴史上宇治で最初に作られたお茶は抹茶でありました。栄西と明恵によって宇治にもたらされた抹茶、この800年も前に生まれた抹茶が今も飲まれている陰にはいろいろな工夫があったのです。 茶は製造法も飲み方も中国から伝わりました。最初平安時代初期、空海・最澄が伝えた団茶は日本人の味覚に合わなかったためか、廃れました。次が栄西の伝えた「抹茶」です。これも薬として伝わり随分苦いものだったでしょう。そのためでしょうか、今、本家の中国には抹茶は残っていません。この苦かったであろう抹茶をどうにかして飲み易くする工夫が宇治で考えられたのです。 それが「覆い下栽培」です。丸太や竹で骨組みを作り、葭簀(よしず)や藁で屋根を葺くという現在も行われている方法は、既に桃山時代にありました。このことは当時日本に来ていたジョアン・ロドリゲスの「日本教会史」に挿絵と共に記されています。覆い下栽培がどうして考えだされたのかは判りませんが、初めは霜除けの目的だったのかもしれません。しかし被覆をされた茶の芽は柔らかく、緑の色も濃くなります。また味も良くなります。このことは現在科学的に証明されています。茶の植物としての生育を多少犠牲にしても、より良い製品を求めた結果です。従って宇治では収穫を年一回に留め、手摘みによって茶の樹を守っています。 「覆い下栽培」の技術を考案した人は伝わっていません。おそらく名もない農民の知恵でしょう。しかし、私はこの農民の知恵が「宇治茶」の名声を最初にもたらしたのだと思います。宇治茶に携わる人はこうした技術を現在に伝え、またより便利な方法を工夫しています。 |
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ □ 発行 : 宇治茶の郷づくり協議会 https://www.ujicha.or.jp/sato/ □ 発行日 : 2012年12月1日 □ メールマガジンの配信・停止:https://www.ujicha.or.jp/sato/member/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Copyright (c) 2012 宇治茶の郷づくり協議会 All Right Reserved. |